何かを始めようとか
何かをやろうと
いくら、頭の中で考えていても
何年も、心に抱いていても
それは、何も始まっていない
始めるとは、行動すること
実際に動いて初めて動きだし
前に進みだす
やってます
やります
そんな言葉の裏に
実際の「形」があるのが裏付けとなる
言葉だけでは、ただの夢と希望とかになる
なんとなく始める
構えて、大事ととらえて始めると
行動が鈍くなる
「やりたいからやる」
単純で良いのかもね
やって何になる?
やってどうなる?
やって意味ある?
そんなのは、やってからの事で
最初から結果重視では、何もやれない
何もやらなきゃ、変わらないから
同じ日々
同じ年
同じ生活になる
やることは変化であり
やることは前進である
前に進むのだから
ちゃんと意味があるのだと思う
結果を約束されてるのは
逆に伸びがないと言うことかもしれない
結果と言う終点が見えるのだから
そういう捉え方も出来る
結果ぎ見えないところに
無限の可能性があり
それを目指すから
常に学び、前に進めるのだろうね
やって無駄なことはない
やって無意味なことはない
やって無駄にするのは
やって無意味にするのは
自分の思考のあり方の問題
何を求めているか?
何を期待しているか?
求めているところに問題があるのかもな
絵本作りでも
何でも、基本は楽しく幸せにやる
楽しく幸せにやっていれば幸福
幸福を得られるなら
それは、生きた時の使い方かもね
自分に自己投資するお金は
長い目で見たら
生きたお金の使い方なのかもね
生きたお金を使うと
きっと、良き人生に繋がる
そんな事を考える
春の始まり
1年の始まりを感じる
3月お雛様の日